このページの要点
- 求償権は加害者の側の二人の間の権利。相手方が支払によって将来取得する求償権を、あらかじめ放棄させる。
- 三者版では配偶者の承諾を得て放棄させ、離婚など婚姻のその後の推移によっても効力を妨げないと書く。
- 配偶者が署名しないなら、求償等の上限を第三者のためにする契約(民法537条)と一部の免除(民法519条)で支える。
- 勤務先・親族への請求の禁止と、求償のための連絡を接触禁止の例外として認める範囲を、手段と内容で区切る。
結論:配偶者に負担を戻さないには、求償の扱いを書面で決める
「配偶者には請求しない。家計に負担が戻らないようにしたい」というご依頼は、不貞の示談で最も多いものの一つです。ところが、不貞の相手方から慰謝料を受け取るだけでは、この目的は達成できません。相手方は、支払った後で、配偶者に対しその負担部分の支払を求める(求償する)ことができる場合があるからです。配偶者が求償に応じれば、そのお金は夫婦の家計から出ていきます。
事務所が作成したヒヤリングシートでは、このような依頼の案件で、冒頭に【最重要】として「『夫に請求しない』を実現するには求償権の放棄が必須」と書き、相手方から全額を受け取ると、相手方は負担分を超えて払ったとして夫に求償でき、結果として家計に負担が及ぶ、という仕組みを説明しています。意向を確かめる欄でも、求償権の放棄を最も重要な項目として扱いました。
このページでは、誰が誰に対して求償権を持つのか、よく見かける取り違え、三者で作る場合の求償の条、配偶者が署名しない場合に求償を上限の範囲に抑える方法、勤務先や親族への請求の禁止、求償のための連絡と接触禁止の調整を、事務所の示談書から整理します。当事者を二者にするか三者にするかの判断は書面の種類と当事者の組み方のページで扱います。
求償の仕組み:誰が、誰に対して、いつ持つ権利か
民法は、数人が共同の不法行為によって他人に損害を加えたときは、各自が連帯してその損害を賠償する責任を負うと定めています(民法719条1項)。配偶者の不貞は、一般に、不貞をした配偶者と相手方の共同の不法行為と考えられており、被害を受けた配偶者は、二人のどちらに対しても慰謝料を請求できます。その一方で、加害者の側の二人の間では、それぞれが負担すべき部分があると考えられており、一方が被害者に支払った場合、もう一方に対してその負担部分の支払を求めることができる場合があります。これが求償です。
求償の権利は、誰と誰の間にあるか
- 乙甲慰謝料(解決金)の支払
- 乙丙支払によって取得した求償権の行使(放棄・上限の対象)
- 甲丙甲自身の丙に対する権利(示談書では原則として残す)
求償権は加害者の側の二人の間の権利で、被害を受けた甲は当事者になりません。
この仕組みから、事務所が不貞相手のみに請求する案件で示談書を組み立てるうえで確定させた整理は、次の4点です。
- 甲(被害を受けた配偶者)は、求償権を持たない。求償権は、乙と丙の間の権利である。
- 乙は、示談書に署名した時点では、まだ求償権を持っていない。甲に慰謝料を支払った時に、丙に対する求償権を取得する。
- したがって、乙にさせるのは「支払によって将来取得する求償権を、あらかじめ放棄する」という約束になる。
- 甲を、乙と丙の内部の精算に巻き込む条(甲が乙の負担部分を確認する、など)は置かない。
第○条(求償権の放棄)
1乙は、甲に対する本件不貞行為に基づく慰謝料の支払により丙に対して取得する求償権を、あらかじめ放棄する。
放棄の対象は求償権に絞ります。「その他名目のいかんを問わず一切の請求権を放棄する」と広げると、本件と関係のない乙と丙の間の権利まで放棄したと読まれ、相手方の署名も得にくくなります。
見比べ 求償の条でよく見かける書き方
主語の取り違え
甲は、本件不貞行為に関する損害賠償について、自己の配偶者に対していかなる求償権も有しないことを確認する。
乙は、本件不貞行為に関する損害賠償について、丙に対し求償権を行使しない。
理由求償権を持ち得るのは支払った乙の側。甲が持たないことを確認しても、乙の求償は止まらない。
放棄の範囲
乙は、丙に対し、名目のいかんを問わず一切の請求権を放棄する。
乙は、本件の慰謝料の支払により丙に対して取得する求償権を、あらかじめ放棄する。
理由放棄を求償権に限ることで、範囲が明確になり、過剰な放棄として争われにくくなる。
甲の関与
甲及び乙は、本件における乙の負担部分が○割であることを確認する。
このような条は置かない。
理由甲は求償の当事者ではない。負担部分の確認に甲を加えると、甲が内部の精算に関わる立場にあるかのように読まれる。
三者で作るとき:求償の条に入れること
配偶者(丙)も署名する三者の示談書では、乙が丙に対する求償権を放棄し、丙がそれを承諾する形がとれます。事務所の三者版の示談書では、求償の条に次のような内容を入れました。
三者版の求償の条に入れたこと
- 乙は、丙に対する求償権を放棄する。対象には、締結日以後の交際に関する分も含める。丙はこれを承諾する。
- 乙は、放棄した求償権を他人に譲り渡したり、他人に行使させたりしない。
- 乙は、丙の勤務先や、丙が働く事業所の経営者などに対し、使用者としての責任を追及しない。
- この放棄は、甲と丙の婚姻のその後の推移(離婚を含む)や、示談書の他の条項が効力を失ったことによっても、効力を妨げられない。
- 乙がこの条に違反したときは、甲と丙に生じた損害(合理的な範囲の弁護士費用を含む)を賠償する。
「婚姻のその後の推移によっても効力を妨げない」という一文は、示談の後で甲と丙が離婚した場合に備えたものです。離婚すれば、家計に負担が戻るという心配はなくなるため、相手方が「もう放棄の意味はない」と考えて丙に求償するおそれがあります。けれども、離婚した後の丙にとっても、求償を受けることは負担です。放棄の効力を婚姻の継続にかからせないことを明記しておきます。
三者版で放棄の対象に「締結日以後の交際に関する分」まで含めたのは、丙が当事者として承諾しているからこそとれた設計です。示談の後に新たな関係が生じ、乙がそれについて甲に支払うことになっても、乙は丙に求償しないことになります。これに対し、丙が署名しない二者版では、後で述べるとおり、新たな不貞行為についての求償は上限の対象から外しています。同じ「求償の制限」でも、丙の承諾があるかどうかで、及ぶ範囲を変えています。違反したときに損害の賠償を求める条を置くか、定額の違約金を置くかの考え方は、違約金の設計のページで扱います。
反対に、求償の条を置かない示談書もあります。事務所の書類には、被害を受けた配偶者と不貞の相手方の二者で作り、不貞をした配偶者を当事者にせず、求償の扱いにも触れていない合意書があります。この場合、相手方が支払った後に配偶者へ求償する道は、書面の上では何も制限されていません。配偶者との関係を書面で扱わないと決めるのは一つの選択ですが、そのときは、求償によって配偶者や家計に負担が及ぶ可能性があることを理解したうえで選ぶ必要があります。求償の条がないことは、「求償しない」という意味にはなりません。
求償の扱いを決めるときは、甲が相手方から受け取る額との関係も意識しておきます。乙に求償権を放棄させれば、乙は甲に支払った額をすべて自分で負担することになります。反対に、求償に上限を付けるだけなら、乙は上限の範囲で丙から回収できます。どちらの形をとるかで、乙にとっての負担の重さが変わり、乙が示談に応じるかどうかにも影響します。事務所は、ヒヤリングで依頼者の目的(配偶者への負担を完全になくしたいのか、一定の範囲に抑えれば足りるのか)を伺い、その目的に合う形を条文にしています。
配偶者と不貞の相手方の双方から甲が慰謝料を受け取る三者の示談書では、求償は一方向とは限りません。乙が甲に払えば乙から丙への求償が、丙が甲に払えば丙から乙への求償が、それぞれ問題になり得ます。事務所の三者間の示談書では、乙から丙、丙から乙の双方向の求償権を放棄する形にしています。誰が誰に支払うのかを当事者の関係図に書き出し、支払の矢印ごとに求償の矢印が生じないかを確かめると、放棄の向きの漏れを防げます。
配偶者が署名しないとき:上限と、第三者のためにする契約
配偶者が署名しないため二者版に組み替えた示談書では、丙の承諾を得られないうえ、依頼者のご希望もあり、求償権を全部放棄させる条をやめて、求償できる額に上限を付ける形に改めました。あわせて、勤務先や親族などへの請求の禁止と、譲渡・第三者による行使の禁止を条文にしています。
上限の対象は、「求償権」という名目のものに限らず、「本件不貞行為に関して丙に請求できる求償権と損害賠償請求権(名目を問わない)の合計」としました。三者版では、乙と丙が名目を問わず互いに請求しないという清算がありましたが、二者版ではその清算がなくなります。求償権だけに上限を付けると、別の名目で請求される余地が残るためです。その一方で、本件と関係のない貸し借りや、請求した後に生じる遅延損害金と訴訟費用は、上限の対象から外しました。上限の対象を広く取りすぎれば、上限の条そのものの有効性が問われかねないためです。
問題は、署名しない丙が、どうやってこの上限を主張できるかです。示談書は甲と乙の約束なので、そのままでは丙は書面の当事者ではありません。事務所は、二つの仕組みを重ねました。
署名しない配偶者が上限を主張できるようにする二つの仕組み
| 仕組み | 根拠 | 効力が生じる時点 | 示談書での手当て |
|---|---|---|---|
| 第三者のためにする契約 | 契約により当事者の一方が第三者に対してある給付をすることを約したときは、第三者は債務者に直接その給付を請求できる(民法537条1項) | 第三者が債務者に対して契約の利益を受ける意思を表示した時に、第三者の権利が発生する(537条3項)。発生した後は、当事者はこれを変更し、消滅させることができない(538条1項) | 乙が、上限を超えて丙に請求しないことを、甲との間で約束する形にする |
| 一部の免除 | 債権者が債務者に対して債務を免除する意思を表示したときは、その債権は消滅する(民法519条) | 免除の意思表示は、通知が丙のもとに届いた時に効力を生じる(民法97条1項) | 上限を超える部分を乙が丙に対して免除する旨を書面に入れ、甲が使者として締結日から7日以内に写しを丙に交付し、交付の日時を書面に記録する。乙はこの意思表示を撤回しない |
使者とは、本人が決めた意思表示をそのまま相手方に届ける役割のことです。甲は乙の代わりに何かを決めるのではなく、乙の書面を丙に届けるだけです。
第5条(求償等の上限)
1乙が本件不貞行為に関して丙に対して請求することができる求償権及び損害賠償請求権(名目を問わない。)の額の合計は、金○円を上限とする。ただし、本件と関係のない乙丙間の債権、並びに請求の後に生ずる遅延損害金及び訴訟費用は、この限りでない。
2前項の定めは、丙のためにもするものであり、丙は、乙に対し、前項の利益を享受する意思を表示することにより、同項の上限を主張することができる。
3乙は、丙に対し、第1項の上限を超える部分の債務を免除する。甲は、本示談書締結の日から7日以内に、本示談書の写しを丙に交付してこの意思表示を伝え、その日時を書面に記録する。乙は、この意思表示を撤回しない。
上限は「最大」の額です。乙の負担部分がこれを下回れば、その額までしか求償できません。
勤務先・親族への請求の禁止と、譲渡・第三者による行使の禁止
配偶者に負担を戻したくないという目的からは、配偶者本人への求償だけでなく、配偶者の勤務先や親族への請求も気になるところです。二者版の示談書では、乙が丙の勤務先・事業所・親族などに対して本件に関する請求をしないことを定めました。そのうえで、改訂の際に、この第三者への請求の禁止の項にも、第三者のためにする契約(民法537条)の一文を加えています。勤務先や親族が自ら利益を受ける意思を表示して、乙の請求を拒めるようにするためです。この改訂で変更したのは、この1項だけです。
ただし、禁止の範囲には例外を置いています。勤務先等への請求の禁止からは、強制執行の手続を除きました。除いておけば、丙本人に対する上限の範囲内の権利を強制執行で実現する場面、たとえば給与の差押えのように勤務先が手続に関わる場面が、請求の禁止に触れるかどうかという争いを避けられます。同じように、求償権を他人に譲り渡したり他人に行使させたりしない義務からは、乙が弁護士に委任して請求する場合を除いています。
求償の上限について依頼者にお伝えしたこと
求償できる額は、慰謝料の半額になるのですか。
当然に半額になるわけではありません。乙と丙がそれぞれどれだけ負担すべきかは、事情によって判断されます。示談書の上限は「最大」の額で、丙の負担部分が上限を下回れば、その額までしか求償できません。
上限を付けても、遅延損害金や訴訟費用を請求されることはありますか。
上限は、本件に関する求償権と損害賠償請求権の合計に付けたもので、請求を受けた後に生じる遅延損害金と訴訟費用は別です。請求を受けたときにすぐに支払えば、遅延損害金は生じません。
配偶者は、請求を受けたら何をすればよいですか。
乙に対して「示談書第5条第1項の約束の利益を受ける」と伝えれば足ります。伝え方に決まりはありませんが、書面(内容証明など)で控えを残すのがよいでしょう。請求を受ける前に伝えておくこともできます。
配偶者が営む店舗に請求が来た場合はどうなりますか。
店舗が個人事業であれば、店舗への請求は配偶者個人への請求として上限の対象になります。法人であれば、第三者への請求の禁止の対象です。
示談の後に、新たな不貞があった場合も上限は及びますか。
及びません。上限は本件不貞行為に関するもので、新たな不貞行為についての求償は対象外です。
求償のための連絡と、接触禁止の調整
求償を全部放棄させず上限付きで残す場合、乙が丙に連絡しなければならない場面が生じます。ところが、示談書には乙が丙に接触しないという約束も入っているのが通常です。この二つが矛盾すると、乙は「求償のために連絡しただけ」と言い、甲は「接触禁止の違反だ」と言う争いになります。
事務所の二者版の示談書では、接触禁止の例外として、求償の請求に必要な範囲で、書面を郵送すること(丙の事業所宛てに送る場合は本人宛ての親展に限る)、弁護士に委任すること、裁判の手続をとることを認めました。その一方で、求償と関係のない事項を書面に書いた場合は、接触禁止の違反とみなすとしています。口外禁止の条でも、求償の請求のために必要な範囲での開示を例外に加えました。例外の範囲を手段と内容の両方で区切ることで、求償を口実にした連絡を防ぎます。接触禁止の例外の作り方は接触禁止の条項のページで詳しく扱います。
ヒヤリングの問い 求償の扱いを決める
配偶者に対しては、慰謝料を請求しない方針ですか。
この問いで決まること求償権の放棄(三者版)または上限(二者版)を、示談書の最重要の条として置くかが決まる。
配偶者は示談書に署名しますか。
この問いで決まること丙の承諾を得て放棄させる形か、第三者のためにする契約と一部の免除を組み合わせる形かが決まる。
配偶者は個人事業を営んでいますか、勤め先はありますか。
この問いで決まること店舗への請求を上限の対象にするか、第三者への請求の禁止の対象にするかの書き分けが決まる。
離婚する可能性はありますか。
この問いで決まること放棄の効力を婚姻のその後の推移にかからせない一文や、甲と丙の間の権利を清算の対象から外す一文の要否が決まる。
求償の扱いで起きがちなこと
求償の条は、示談書の中で最も理屈が込み入った条です。けれども、依頼者の目的が「配偶者に負担を戻さない」ことにあるなら、慰謝料の額よりも先に決めるべき条でもあります。甲・乙・丙の間でお金がどう動くかを図に書き出し、支払の後に生じる権利を一つずつ確かめると、放棄・上限・第三者への請求の禁止のどれを組み合わせるべきかが見えてきます。清算の条との関係は清算条項と請求権の留保のページもご覧ください。
よくあるご質問
不貞相手だけに慰謝料を請求したいとき、なぜ求償権の放棄が必要なのですか?
相手方は、慰謝料を支払った後、配偶者に対してその負担部分の支払を求める(求償する)ことができる場合があるからです。配偶者が応じれば家計から支払うことになり、「配偶者には請求しない」という目的が達成できません。相手方に、支払によって取得する求償権をあらかじめ放棄させます。
示談書に「被害者は求償権を有しないことを確認する」と書けば足りますか?
足りません。求償権を持ち得るのは支払った相手方の側で、被害を受けた配偶者は求償権を持ちません。止めたいのは相手方から配偶者への求償なので、相手方が求償権を放棄する、または行使しないという書き方にします。
配偶者が署名しない示談書で、配偶者への求償を制限できますか?
事務所では、求償できる額に上限を付け、その上限を第三者のためにする契約(民法537条)として配偶者が主張できるようにし、あわせて上限を超える部分の免除(民法519条)の書面を使者として配偶者に届ける設計をとりました。配偶者は、請求を受けたら約束の利益を受けると伝えれば足ります。
求償の上限は、何を対象にすればよいですか?
求償権という名目に限らず、本件に関して配偶者に請求できる求償権と損害賠償請求権の合計を対象にします。一方で、本件と関係のない貸し借り、請求の後に生じる遅延損害金と訴訟費用は対象から外します。広げすぎると、条項の効力を争われるおそれがあります。
配偶者の勤務先や親族への請求を禁止できますか?
示談書で相手方に約束させることはできます。事務所の示談書では、勤務先や親族などへの請求の禁止を置き、勤務先等が自ら利益を受ける意思を表示して請求を拒めるよう、第三者のためにする契約の一文も加えました。強制執行の手続は禁止の対象から除いています。
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