このページの要点
- すでに払った治療費、これからの治療費、解決金、あとから出た症状の四つを分け、混ぜずに書く。
- 犬を管理していた人(散歩を任された家族など)を当事者に加えるか、清算の範囲を決めておく。
- 清算の条は、示談の時点で把握している範囲に限り、新たに判明した損害は別の条で扱う。
- 子どもが被害者のときは親権者が署名し、子の請求と親自身の請求を書き分け、保険を使うときは同意と保険金の扱いを書く。
結論:治療が続いているなら、「今日で清算するもの」と「残すもの」を分けて書く
犬にかまれてけがをした、あるいは自分の飼い犬が人にけがをさせた。治療費や慰謝料の考え方について当事者の話がまとまったとき、その内容を書面にしたものが示談書です。犬のけがの示談書が、ほかの示談書と違うのは、示談を交わす時点で治療がまだ続いていることが多いという点です。かまれた傷は、縫合や通院が長引くことがあり、症状が落ち着くまでに時間がかかります。治療が終わる前に「これですべて終わり」と書いてしまうと、被害を受けた側は、あとから出てきた治療費を請求できなくなるのではないかと不安になります。逆に、何も区切らずに書けば、飼い主の側は、いつまで支払いが続くのか分からなくなります。
そこで、示談書では次の四つを分けて書きます。①すでに支払った治療費(金額が確定している部分)、②これからかかる治療費(金額が確定していない部分)、③慰謝料その他の解決金、④示談の時点では分かっていなかった症状が、あとから出たときの扱い。この四つを混ぜずに書くことが、犬のけがの示談書の組み立ての中心です。
犬が他人に与えた損害については、民法718条1項が、動物の占有者(飼い主など、その動物を現に管理している人)は、その動物が他人に加えた損害を賠償する責任を負う、と定めています。ただし書で、動物の種類及び性質に従い相当の注意をもってその管理をしたときは、この限りでないとされています。同条2項は、占有者に代わって動物を管理する者も、同じ責任を負うとしています。散歩を任された家族や知人も、ここに当たりえます。もっとも、責任があるのか、金額が妥当なのか、被害を受けた側の事情をどう見るのか、といった評価は、書面を作る前に当事者の間で決まっていることが前提です。このページが扱うのは、まとまった内容を、あとで食い違いが出ないように書面に落とす方法です。相手方との交渉、責任や金額の評価、保険会社とのやり取りは、このページでは扱いません。
事務所が扱った、人にけがを負わせたとされる出来事の示談書の案件では、解決金の現金手渡しと署名の同時履行、受領証兼清算確認書、代理受領の委任状、後遺障害まで含めた包括的な清算の条が組み合わされていました。犬のけがの示談書でも使える部分と、治療中であることに合わせて組み替える部分があります。現金の受け渡しと清算の基本形は解決金の受領確認・同時履行と、清算・請求権の留保のページで、刑事上の対応(被害届・宥恕)の書き方は刑事事件になりうるトラブル・SNS・いじめの示談書のページで扱っています。
治療中の示談書で分けて書く四つの区分
| 区分 | 書く内容 | 決め方の例 |
|---|---|---|
| すでに支払った治療費 | 示談の日までに支払った治療費・通院の交通費。領収書を別紙にして金額を確定させる | 領収書の合計額を条文に書くか、別紙の一覧表で特定し、その額を支払うか、すでに受領済みと確認する |
| これからかかる治療費 | 示談の日以降の通院・治療にかかる費用。金額が確定していない | 領収書を示した都度に精算する、対象期間と上限を決める、症状が落ち着いた後に別に精算する、のいずれか |
| 慰謝料その他の解決金 | 精神的苦痛や、仕事を休んだことなどへの金銭。ここは金額を決められる | 一括で支払う解決金として定額にし、何を含むかを書く(治療費は含めるのか、別立てか) |
| あとから出た症状 | 示談の時点では分かっていなかった症状・治療の扱い | 清算の範囲を「示談の時点で把握している範囲」に限り、新たに分かったときの手順(診断書の提示・協議)を書く |
四つの区分のどれに当たるかを書面の上で分けておくと、あとから金額の話が出たときに、どの区分の話なのかを確かめやすくなります。
当事者欄:誰が約束し、誰に対して約束するのか
犬のけがの示談書は、被害を受けた人(以下、甲)と、犬の飼い主(以下、乙)の二者で作るのが基本です。ただし、犬を飼っている人と、事故のときに犬を管理していた人が別のことがよくあります。家族が散歩に連れ出していた、知人が預かっていた、というような場面です。民法718条2項は、占有者に代わって動物を管理する者も責任を負うとしていますから、事故のときに犬を管理していた人(以下、丙)がいる場合は、丙を当事者に加えるか、加えないのかを決めておく必要があります。
丙を当事者に加えない場合、示談書の清算の条は、乙との間の清算にとどまります。甲があとで丙に請求できるのかどうかが、書面の上では決まらないまま残ります。乙と丙の間で、費用の負担を分けているなら、なおさらです。丙を当事者に加えるなら、乙と丙が連帯して支払うのか、乙が全額を引き受けて丙には請求しないのかを書き、清算の条で丙も含めた形にします。逆に、清算を乙との間に限りたいのであれば、「丙に対する請求は妨げない」と書いて、残す範囲をはっきりさせます。どちらの形にするかは、当事者の話し合いの結果で決まることで、書面が決めるものではありません。書面の役目は、決まったことを漏れなく書くことです。
犬のけがの示談書の当事者の関係(例)
- 乙甲解決金と治療費を支払う
- 丙甲当事者に加えるときは、乙と連帯して支払う、または乙が全額を引き受ける
- 甲乙・丙示談で定めた範囲の請求を、これ以上しない(清算)
丙がいるときは、清算の条が丙にも及ぶのか、及ばないのかを、条文の上で決めます。
責任の有無や範囲について、当事者の言い分が一致していないまま、金額だけが合意できることもあります。たとえば、乙は相当の注意をもって管理していたと考えているが、解決のために支払う、というような場面です。この場合は、「責任の範囲について当事者間に見解の相違があることを確認したうえで、本件を終局的に解決する」という書き方があります。見解の相違を残したまま解決する書き方は、事実確認・謝罪の条項と「本件」の特定と、刑事・SNS・いじめの示談書のページで扱っています。書面に、乙の落ち度を断定する言葉や、被害を受けた側の落ち度を断定する言葉を書かないのは、評価を書面が決めるのではなく、金額と手続だけを書面が決めるようにするためです。
事実と治療の経過の書き方:何が起きたのかを、診断書と領収書で特定する
最初の条には、何についての示談なのかを書きます。示談書でよく問題になるのは、「本件」の範囲がぼんやりしていて、清算の範囲も決まらないことです。犬のけがの示談書では、日時、場所、犬の特定、けがの特定の四つで「本件」を決めます。
- 日時と場所:「いつ、どこで起きた出来事なのか」を書きます。時刻まで分からないときは、日付と大まかな場所で足ります。
- 犬の特定:犬の名前、犬種、体格、毛色など、飼い主が管理している犬であることが分かる特徴を書きます。評価を含む言葉(「危険な犬」「凶暴な犬」など)は書きません。
- けがの特定:傷病名と部位を、診断書の記載に合わせて書きます。診断書そのものは別紙にします。健康に関わる情報ですので、写しを渡す範囲は、示談に必要な限度にします。
- 治療の経過:受診した医療機関と、通院した期間を書きます。まだ通院が続いているときは、「示談の日の時点で通院中である」と書き、その先の扱いは別の条で決めます。
第1条(本件の確認)
1甲及び乙は、○年○月○日、○○において、乙の飼養する犬(名前:○○、犬種:○○。以下「本件犬」という。)が甲にけがを負わせた出来事(以下「本件」という。)が生じたことを確認する。
2甲は、本件により、別紙1の診断書に記載された傷病(以下「本件傷病」という。)の診断を受け、○○において通院治療を受けていることを確認する。本件傷病の治療は、本示談書の作成日において継続中である。
3甲及び乙は、本件の責任の範囲及び損害の額について、当事者間に見解の相違があることを確認したうえで、本示談書に定める条件で、本件に関する紛争を解決する。
3項は、見解の相違がないときは削ります。「継続中である」と書くことが、次の治療費の条の前提になります。
診断書や領収書を別紙にすると、本文に傷病名や金額を何度も書かずに済みます。別紙は、署名する前の段階で、何をもって「別紙1」「別紙2」とするのかを、当事者が見比べて確かめます。写しを渡す側が、必要な部分だけを選んで渡すと、あとで「あのとき渡した診断書と別紙が違う」という食い違いが起きやすくなります。別紙は、示談書に綴じて、契印をするなど、一体の書面として扱います。
ヒヤリングの問い けがの示談書を作る前に
示談の日の時点で、治療は終わっていますか、続いていますか。
この問いで決まること続いているなら、今後の治療費の条を置くか、症状が落ち着いたあとに示談するのか。示談を急ぐ事情があるのかも含めて決まる。
事故のときに犬を管理していたのは、飼い主ご本人ですか、ほかの方ですか。
この問いで決まること当事者に丙を加えるか、清算の条を丙にも及ぼすか、が決まる。
診断書と領収書は、どこまで手元にありますか。
この問いで決まること既払いの治療費を金額で確定できるか、別紙にできる資料が何か、が決まる。
保険(個人賠償責任保険など)を使う予定はありますか。
この問いで決まること保険会社の同意が必要かの確認、支払の時期、保険金が出ない場合の扱い、が決まる。
被害を受けた方は未成年ですか。
この問いで決まること親権者が署名する必要があるか、代理受領か、親自身の費用も請求に含むか、が決まる。
治療費の精算:すでに払った分と、これから払う分を分ける
治療費の条は、犬のけがの示談書でいちばん手間がかかります。すでに支払った分は、領収書で確かめられるので、金額を決められます。これからかかる分は、通院がいつまで続くのかが分からないので、金額を決められません。書き方は、大きく三つの型に分けられます。
今後の治療費の三つの書き方
| 型 | 内容 | 向いている場面 | 気をつけること |
|---|---|---|---|
| 都度精算型 | 示談の日以降の治療費を、領収書を示した都度に、飼い主が一定の期日までに払う | 通院が続いており、終わりの時期が見えない | 対象期間(いつまでの分か)、上限の有無、領収書を示す方法(写しの送付など)を決める |
| 期間限定型 | 示談の日から一定の期間の分だけを対象にし、その後は別に協議する | 治療の見通しが立っているが、念のため区切りたい | 区切りの日を過ぎても通院が必要なときの手順を書く |
| 症状固定後の確定型 | 治療が落ち着いた後に、治療費の総額を確定させる。それまでは、既払い分と、仮の解決金のみを定める | 症状が落ち着いてから、全体を一度に清算したい | 症状が落ち着く時期の判断を誰が、何をもって行うか(医師の診断書など) |
三つの型のどれが正しい、ということはありません。当事者がどのくらいの間、関係を続けられるかで選びます。
「症状固定」という言葉は、治療を続けても、それ以上の改善が見込めない状態になったことを指す言葉として、損害賠償の実務でよく使われます。示談書にこの言葉を使うときは、誰が、どのように判断するのかを書いておかないと、時期をめぐって新しい争いが生まれます。たとえば、「担当医が症状が落ち着いたと診断した日」と書くなど、客観的な基準に結びつけます。
健康保険を使って治療を受けているときは、もうひとつ確かめることがあります。健康保険法57条1項は、給付事由が第三者の行為によって生じた場合に、保険者が保険給付を行ったときは、その給付の価額の限度で、被害を受けた人が第三者に対して持つ損害賠償請求権を取得すると定めています。同条2項は、被害を受けた人が第三者から同一の事由について損害賠償を受けたときは、保険者は、その価額の限度で保険給付を行う責任を免れる、と定めています。国民健康保険の場合も、国民健康保険法64条1項・2項に同じ趣旨の定めがあります。治療費の扱いをどう書くかは、保険者の取扱いに影響することがありますから、健康保険を使っているときは、示談の前に、加入している保険者に、第三者の行為によるけがであることを届け出て、取扱いを確かめておきます。
第3条(治療費)
1乙は、甲に対し、本件傷病の治療費として、本示談書作成日までに甲が支払った別紙2記載の治療費及び通院交通費(合計○○円)を支払う。
2乙は、甲に対し、本示談書作成日の翌日以降に本件傷病の治療のため甲が支払う治療費及び通院交通費のうち、○年○月○日までに生じたものを、甲が領収書の写しを乙に示した日から○日以内に支払う。
3前項の期日を過ぎても治療が必要な場合は、甲は、担当医の診断書を乙に示し、甲及び乙は、その後の治療費の扱いを誠実に協議する。
2項の期日、3項の協議を、都度精算型と期間限定型のどちらにするかで書き換えます。税込・税別の表示のある費用は、領収書の金額をそのまま使います。
治療費の精算の条のすぐあとに、慰謝料その他の解決金の条を置きます。解決金に治療費を含めるのか、治療費は別に精算するのかを、条文の上で決めておきます。治療費を別立てにしておけば、解決金は、精神的苦痛などへの定額の金銭として扱えます。支払の方法(一括か分割か、現金か振込か)と、支払を確認したときの扱いは、解決金の受領確認・同時履行と、清算・請求権の留保のページの書き方をそのまま使えます。
留保した請求は、放っておくと時効にかかります。人の生命又は身体を害する不法行為による損害賠償請求権の消滅時効は、被害者又はその法定代理人が損害及び加害者を知った時から5年間です(民法724条1号、724条の2)。不法行為の時から20年間という期間もあります(同法724条2号)。示談書に留保の条を書いたからといって、この期間が止まるわけではありません。留保を長く続けるなら、時効が近づいたときにどう手当てするかを、当事者が意識しておく必要があります。留保と時効の関係は、同じく清算・請求権の留保のページで扱っています。
示談のあとに出てきた症状:「一切の請求をしない」と書いたときの範囲
示談書の終わり近くに、清算の条を置くのが通常の書き方です。清算の条には、よく「今後、名目のいかんを問わず、本件に関し一切の請求をしない」という文言が入ります。支払う側にとっては、これでようやく終わりだと安心できる条文です。ところが、けがの示談では、示談のあとに新しい症状が出たり、思っていたより治療が長引いたりすることがあります。このとき、「一切の請求をしない」と書いてあれば、示談の時点で分からなかった症状についても、請求できないのでしょうか。
この点は、書面の文言だけで決まるわけではありません。示談の時点で当事者が予想していなかった損害まで放棄したといえるのかは、示談に至った事情などを踏まえて、最終的には裁判所が判断することになります。書面の側でできることは、放棄の範囲を、示談の時点で当事者が把握している損害に限ると書くか、逆に、示談後に新たに判明した損害も含めて放棄すると書くかを、当事者が分かったうえで選べるようにすることです。事務所が扱った、人にけがを負わせたとされる出来事の示談書の案件では、症状の悪化や後遺障害が認定された場合まで含めて追加の請求をしない、という包括的な清算が書かれていました。支払う側から見れば自然な発想ですが、治療が続いている犬のけがでは、被害を受けた側が納得しにくい書き方です。
見比べ 治療が続いているときの清算の条
清算の範囲
本件に関し、将来発生し得るもの、現時点で認識していないものを含め、一切の請求をしない。後遺障害が認定された場合や症状が悪化した場合も同様とする。
本示談書に定めるもののほか、示談の日の時点で甲が把握している本件に関する損害について、請求をしない。示談の日以降に新たに判明した損害は、次条の定めによる。
理由示談の時点では見えていなかった損害を、いつ、どのような形で扱うのかを、清算の条から切り離して別の条に書く。
新たに判明した損害
(定めなし)
甲は、示談の日以降に、本件傷病に起因する新たな症状が生じたときは、担当医の診断書を乙に示し、その日から○か月以内に限り、乙に協議を求めることができる。
理由留保を「いつまで」「何を示せば」と区切ることで、飼い主の側が無期限の請求を負わないようにする。
放棄する請求の相手
甲は、乙のほか、乙の家族、関係者に対しても請求しない。
甲は、乙及び丙に対し、本示談書で定めた範囲の請求をしない。それ以外の第三者への請求は妨げない。
理由当事者でない人へ清算の効力を及ぼすときは、それが誰かを特定して書く。
留保の条を置くかどうかは、双方の立場の問題でもあります。被害を受けた側は、治療が終わるまで示談を待つ、あるいは留保を置くことで、あとの不安を減らせます。飼い主の側は、留保の期間と条件を区切ることで、いつまでも請求が続く状態を避けられます。「担当医の診断書を示す」「○か月以内」「本件傷病に起因する」という三つの区切りは、どちらの側にも説明のつく基準になります。この区切りを置かずに「後日、別途協議する」とだけ書くと、いつ、何をもって協議の申入れとするのかが分からず、留保が機能しません。
第5条(示談後に判明した事情)
1甲は、本示談書作成日以降、本件傷病に起因する新たな症状が生じ、又は治療が必要になったときは、担当医の診断書を乙に示して、その旨を乙に通知することができる。
2乙は、前項の通知を受けたときは、通知を受けた日から○日以内に、甲と協議を開始する。
3甲は、前項の通知を、本示談書作成日から○か月が経過した日以降は行わない。ただし、甲及び乙が書面で合意した場合は、この限りでない。
期間の定めは、当事者の事情に合わせて決めます。この条を置かないときは、前の表の「包括型」の書き方になります。
被害を受けた方が子どものとき:誰が署名し、誰が受け取るのか
子どもが被害を受けたときの示談書では、署名と受領の仕組みを決めておく必要があります。民法5条1項は、未成年者が法律行為をするには、その法定代理人の同意を得なければならないとし、同条2項は、これに反する法律行為は取り消すことができると定めています。示談は法律行為ですから、子ども本人だけが署名しても、あとで取り消されるおそれがあります。成年年齢は18歳です(同法4条)。
子どもの法定代理人は、通常は親権者です。親権について、民法818条2項は、父母の婚姻中はその双方を親権者とすると定めています。親権者は、子の財産を管理し、その財産に関する法律行為について子を代表します(同法824条)。2026年4月1日に施行された改正で、親権の行使方法を定める同法824条の2が置かれ、同条1項は、親権は父母が共同して行うとし、その一方のみが親権者であるとき、他の一方が親権を行うことができないとき、子の利益のため急迫の事情があるときは、その一方が行うとしています。したがって、父母が婚姻中の子の示談では、署名欄を父母の双方に設けるのが、書面としては堅い形です。一方の親だけが署名する場合の効力については、民法825条に、父母が共同して親権を行う場合に、一方が共同の名義で子に代わって法律行為をしたときは、他の一方の意思に反したときであっても効力を妨げられない、ただし相手方が悪意のときはこの限りでない、との定めがあります。この定めは、署名した人が共同の名義で行ったときの話です。書面の側では、署名を一方に任せるときは、他方の親の同意を書面で確かめておくと、あとで効力を争われにくくなります。
- 請求の主体を分ける:治療費や慰謝料の請求権は、けがをした子ども本人のものです。他方で、親が負担した付添いの費用や、仕事を休んだことによる損害は、親自身の請求です。示談書の清算の条には、子ども本人の請求と、親自身の請求のどちらを清算するのかを書き分けます。
- 署名欄を設ける:被害を受けた子どもの氏名とともに、法定代理人(親権者)の署名欄を設けます。父母の双方が親権者であれば、双方の欄を設けるのが基本です。
- 受領者を決める:解決金を受け取るのが子ども本人ではなく親であるなら、親が子に代わって受領することを書きます。現金を手渡すときは、受領証兼清算確認書と、代理受領の委任状を使う方法があります(受領確認・同時履行のページ)。弁済をする者は、弁済と引換えに受取証書の交付を請求できます(民法486条1項)。解決金の支払と署名を引換えにする書き方は、同時履行(同法533条)の考え方に沿ったものです。
- 子どもが加害側のとき:犬を連れていたのが子どもで、飼い主が親のときは、犬の占有者である飼い主(親)が当事者になります。子どもが管理していたこと自体は、丙の項で書いたとおり、清算の条の範囲を決めるときの事情になります。
示談書に子どもの氏名や年齢、通っている学校を細かく書く必要はありません。書面に残るのは、法的に必要な範囲の個人情報だけにとどめます。診断書の別紙も、子どもの心身の状態に関わる部分を、必要以上に載せないようにします。
保険を使うとき、再発を防ぐ約束を書くとき
個人賠償責任保険は、日常生活の中で他人にけがをさせたり物を壊したりして、法律上の損害賠償責任を負ったときに、保険金が支払われる保険です。火災保険やクレジットカードの特約などに付いていることがあり、加入している本人が気づいていない場合もあります。保険が使えるかどうか、いくら支払われるのかは、契約の内容によって異なり、書面を作る側が決められることではありません。示談書を作る前に、飼い主が保険の約款を確かめ、保険会社に事故を連絡して、次の点を確認します。
署名の前に、保険について確かめること
- この事故が、保険の対象になる事故か(犬によるけがが含まれているか)。
- 示談を交わす前に、保険会社の同意が必要か。同意を得ずに示談をすると、保険金が支払われない場合があるかどうか。
- 保険会社が示談の手続をしてくれる契約か、飼い主が自分で行う契約か。
- 支払われる範囲(治療費、慰謝料など)と、自己負担額(免責金額)。
- 保険金が支払われる時期と、支払先(飼い主か、直接被害を受けた人か)。
示談書の側では、保険金の支払の有無が示談の効力に影響しないことを書いておくと、保険の手続が遅れたときにも書面が機能します。また、保険金が支払われる予定のときは、その分を解決金の支払に充てることを書いておきます。保険会社に対して何を請求するか、どのような資料を出すかは、飼い主が保険会社との間で行うことで、示談書の作成とは別の手続です。
第7条(保険金)
1乙は、本件に関し、乙が加入する保険契約に基づく保険金の請求を、自己の責任において行う。
2保険金の支払の有無、時期又は額にかかわらず、乙は、本示談書に定める支払義務を負う。
3乙が保険金を受領したときは、その額の限度で、乙の第○条の支払義務が履行されたものとする。ただし、乙が甲に対し、保険金の受領を理由として支払を遅らせることはできない。
保険会社の同意が必要な契約では、署名の前に同意を得たうえで、この条を置きます。
示談書の最後のほうに、再発を防ぐ約束を置くこともあります。動物の愛護及び管理に関する法律7条1項は、動物の所有者又は占有者に対し、その動物が人の生命、身体若しくは財産に害を加え、又は人に迷惑を及ぼすことのないように努めなければならない、と定めています。これは、飼い主に課せられた努力義務です。示談書では、これを当事者の約束として具体化します。散歩のときにリードを短く持つ、他の人に近づける場面では口輪を使う、庭から出ないように柵を直す、というような、飼い主が実際に守れる管理の方法を書きます。守れない約束や、実現の手段が書面にない約束は書きません。犬を手放す、飼養をやめるというような約束を求める条は、それが当事者の本当の合意なのか、飼い主が約束できる範囲なのかを確かめてから書きます。再発防止の約束に違約金を結びつけるときは、違約金の設計のページの考え方に従い、予定の額か、実際の損害の賠償かを決めておきます。
刑事上の問題として、過失傷害の罪は、告訴がなければ公訴を提起することができません(刑法209条2項)。被害届や告訴をどうするかを書面に書くときは、刑事・SNS・いじめの示談書のページで述べたとおり、示談書は当事者の意思表示までを定めるもので、刑事上の処理を決めるものではない、という前提で書きます。
署名の前に確かめるリスト
- 「本件」の日時・場所・犬・けがが、診断書と照らして特定されているか。
- 治療費が、すでに払った分と、これから払う分に分かれ、後者の対象期間と手順が書かれているか。
- 清算の条が、示談の時点で把握している範囲に限られているか。新たに判明した損害の扱いが、別の条に書かれているか。
- 犬を管理していた人が丙として当事者に入っているか、入れないなら清算の範囲がどこまでか。
- 被害を受けた方が未成年のとき、親権者の署名と、請求の主体の書き分けがあるか。
- 保険を使うときは、保険会社の同意と、保険金の扱いが書かれているか。
犬のけがの示談書で起きがちなこと
よくあるご質問
犬にかまれてけがをした場合、飼い主以外にも責任を問えるのですか。
民法718条1項は動物の占有者の責任を、同条2項は占有者に代わって動物を管理する者の責任を定めています。散歩を任された家族や知人のように、事故のときに犬を管理していた人も、責任を負う場合があります。示談書では、その人を当事者に加えるか、清算の条の範囲に含めるかを決めておくと、あとで請求の範囲が分からなくなることを避けられます。責任があるかどうかの判断は、書面を作る前に当事者の間で決まっていることが前提です。
治療がまだ終わっていないのですが、示談書を作ってよいですか。
作ることはできます。ただし、すでに払った治療費と、これからかかる治療費を分け、これからの分は、領収書を示した都度に精算する、一定の期間に限って精算する、症状が落ち着いてから確定する、のいずれかで書くのが基本です。清算の条を、示談の時点で把握している範囲に限り、新たに判明した症状の扱いを別の条に書いておけば、治療の途中でも書面が機能します。示談を急ぐ事情がないなら、治療が落ち着いてから作る方法もあります。
示談書に「後遺症が出ても請求しない」と書いてあれば、あとから請求できませんか。
書面の文言だけで決まるとは言い切れません。示談の時点で当事者が予想していなかった損害まで放棄したといえるかは、示談に至った事情などを踏まえて、最終的には裁判所が判断することになります。書面の側では、放棄の範囲を示談の時点で把握している損害に限るのか、示談後に判明した損害も含めるのかを、当事者が分かったうえで選べるように、清算の条と新たに判明した損害の条を分けて書きます。
被害を受けたのが子どもの場合、誰が署名すればよいですか。
未成年者の法律行為には法定代理人の同意が必要で、同意のない法律行為は取り消すことができます(民法5条)。親権者は婚姻中は父母の双方で(同法818条2項)、2026年4月1日施行の改正後は、親権は原則として父母が共同して行うとされています(同法824条の2第1項)。書面としては、父母の双方の署名欄を設け、請求の主体を子ども本人と親自身に書き分けておくのが堅い形です。一方の親だけが署名するときの効力については、同法825条が定めています。
個人賠償責任保険を使う場合、示談書は保険会社が作るのですか。
保険会社が示談の手続を行うかどうかは、保険契約の内容によります。多くの場合、示談を交わす前に保険会社の同意が必要かどうかを、約款で確かめる必要があります。示談書の側では、保険金の支払の有無や時期にかかわらず、飼い主が示談書に定める支払義務を負うことと、保険金を受領したときはその額の限度で支払が済んだものとすることを書いておくと、保険の手続が遅れたときにも機能します。
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